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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和39年(う)26号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用中、証人中山勉に支給した昭和三八年七月一〇日出頭分及び当審における訴訟費用の全部を被告人の負担とする。

本件公訴事実中、事故報告義務違反の点は、無罪。

理由

≪前略≫

所論は要するに、原判決の事実誤認と法令適用の誤りとを主張し、その理由として、被告人は本件衝突事故の被害者であるから、言察官に対する事故報告の義務がなく、被告人に報告義務違反の罰則を適用した原判決は、法令適用の誤りを冒したものである。仮に被告人が法定の報告義務者であるとしても、被告人は本件衝突事故により、頭部その他の重傷を負つて失神状態に陥り、その状態は入院後も継続し、特に意識を回復しても闘病に没頭していたのであるから、警察官に対する事故報告が不能又は期待不可能の状態にあつたのである。然るに原審は証拠の取捨を誤つて右事実を看過し、報告義務違反を認定したのであるから、事実誤認の違法を冒したものであり、原判決は破棄を免れない、というのである。

案ずるに、原判決は罪となるべき事実第二において、公訴事実第二と同じく、被告人は「前記日時場所において、前記自動車を運転中、前記交通事故により、前同人に傷害を負わせながら、直ちにもよりの警察署の警察官に、法令に定められた事故(事項の意と解する)を届け出なかつたものである(前記又は前同人とは、原判示第一の記載を指す)と判示しており、そのことは原判決書及び起訴状の各記載に徴し、明白であるところ、認定に誤りのない原判示第一の事実関係のもとにおいて被告人は、道路交通法第七二条第一項所定の事故報告義務者であることが明らかであるから、これと反対の見解を前提として、原判決における法令適用の誤りを主張する論旨は、理由がない。そこで被告人に右報告義務違反の事実ありや否やを検討するに、原判決挙示の証拠と証人乙部春重の原審及び当審各公判廷における供述、被告人の当公廷における供述とを総合すれば、本件衝突事故発生の際、現場には警察官がいなかつたこと、被告人は自ら又は他人を介しても、警察官に対し右事故発生の報告をしていないこと、被告人は右衝突のため、頭部その他に重傷を負つて失神状態に陥り、そのまま病院に収容されて昏睡又は呻吟を続け、その間事故報告義務を自覚することすら不可能の状態にあり、入院後二、三日を経過した頃から小康を得て、他人を介せば右事故報告をなし得る状態になつたこと、を各認定することができる。およそ道路交通法第七二条第一項が警察官に対する事故報告をなすべき時期を「直ちに」と規定しているのは、「事故後直ちに又は事故に引き続く負傷者救護等の必要措置を執つた後直ちに」という意味に理解し得るけれども、それには更に合理的な制約があるものと解さなければならない。すなわち法は不能を強いないのであるから、事故報告義務者が負傷等のため、事故又はこれに引き続く必要措置を執つた直後から、他人を介しても報告することが不可能(事実上又は期待可能性上)である事態が続く限り、法はその者に事故報告を期待しない(道路交通法第七二条第一項の補充報告義務者の規定参照)ものというべく、その後報告の可能状態が生じた直後報告をすれば、それが事故又はこれに引き続く必要措置と時間的に距るものがあつても、右に所謂「直ちに」報告したものというべきであり、これを怠れば、報告義務違反に問われなければならない。併しながら、その報告の可能状態が如何に遅く到来してもなお報告義務があるか否かは、更に検討を加えなければならない。そもそも右報告義務を認めた所以のものは、犯罪捜査のためではなく、負傷者の迅速な救護と交通秩序の早期回復とを目的としたものであるから、すでに負傷者が救護され、且つ交通秩序が完全に回復した後、これを具体的にいえば、道路交通法第七二条第二項第三項による警察官関与の必要性が客観的に失われた後は、報告義務を認めた目的は達せられ、その義務は消滅するものといわなければならない。以上の法理を要約すれば、負傷者が救護され、且つ交通秩序の破壊又は混乱が完全に回復するまでに、事故報告の可能状態が生じない限り、またこれを換言すれば、事故報告の可能状態が生じた際、すでに負傷者が救護され、且つ交通秩序が完全に回復していれば、事故報告をしなくても、報告義務違反にはならないものといわなければならない。ひるがえつて本件につきこれを観るのに、叙上の証拠によれば、被告人の入院後二、三日を経て、他人を介せば事故報告をなし得る状態になつた頃には、原判示負傷者両名はすでに救護され、且つ本件事故により乱された交通秩序は完全に回復し、従つて道路交通法第七二条第二項第三項による警察官関与の必要性が客観的に失われていたものと推認すべきであるから、被告人には事故報告の義務も、その違反もなく、これを肯認した原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法を冒したものとして、破棄を免れない。この点に関する論旨は理由がある。≪中略≫

(裁判長判事山田義盛 判事堀端弘士 松田四郎)

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